(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成16年1月号
 一昨年、筆者が一番驚いたのはクローン(複製)人間誕生というニュースに接した事だ。筆者にすればクローン(複製)人間が「できた」と言うべきをその女博士は「シー・ワズ・ボーン(誕生した)」と宣うた。
 科学者を私たちは崇めるが、そうだろうか?。筆者から見れば、彼らは単なる気違いか幼児に等しい。研究と真理という二つのオモチャを弄ぶ輩に過ぎない。頭が良いからオモチャを弄べるが、頭の良い事にはなんの意味もない。一昨年二人の日本人がノーベル賞を受けたが、二人とも変人だった。殊にT氏などは受賞するまで会社でも目をかけて貰えなかった。発明の凄さを差し引いて余りあるそれ程の変人だったと筆者はT氏を思っている。もっともノーベル自身が理念を持たず発明した為に多くの人に迷惑をかけた。その失敗からノーベル賞が創設された。科学的な発見をどう有意義に活かすかという戒めがノーベル賞にはある。科学者は偏狭で常識を持ち得ない人が多いと筆者は思っている。
 さてクローン人間を「作った」その女博士はスイスの新興宗教に雇われていた。なぜ宗教が摂理に反することをしたのか・・・という事が筆者には疑問だった。そしてその意図はまだ見えて来ない。だが筆者はクローン人間という概念をずっと待っていた。
 なぜなら、今までは個人は過去にも未来にも永遠に一人であるが為に、その人に開ける可能性あった複数の将来の対比とその真否を立証できなかった。がクローン人間が作られた事は同じ人間が二人以上いるという概念で説明できるから、対比ができ人生の真否の立証がたやすくなったといえる。
 全く同じ遺伝子(精神的にも生理的にも同じ体質)を持った人間がいる・・・それがクローン人間だ。でもだからといって、同じ人生が開けるのだろうか?。それは否である。同じ人間とはいうがそれは先天的なものをさして言ってるだけで、人間の成長には後天的なものこそが大きくものをいう。
 では後天的なものとは何を言うのだろう。それは刺激である。現代風に言えばストレスである。

 余談になるが滝に打たれていて理解できないのは「ストレス解消」という言葉である。ストレスは苦しいのだが喜んで受け入れるべきものだから、解消しなければ楽にならないと考えるのは大きな間違いだ。ストレスは苦しい、がその苦しさが将来に必ず笑いに変わる様に神はしむけておられる。なのにストレスを解消しようとするから永遠に苦しくなる。「滝打たれはやりたくない最大の事だから逃げずに打たれる」のが筆者の言う滝打たれである。だから哲学(といかなくても自分にあった生き方)が滝打たれから産まれる。滝に打たれながらストレスと自分の関係に目覚めない人は、いやな事の受け入れが中途半端だと、自分を反省せねばならない。
 話を戻すが同じ遺伝子でも刺激の受け入れ方で人格に差が生まれる。またストレスを受け入れる能力が同じに授かっていても同じストレスが加わるとは限らない。クローン人間になって永遠不滅の人間でありたかったら、永遠不滅にストレスと戦わねばならぬ定めとなる。クローン人間の前に誕生しているクローンの牛や羊は良質の遺伝子を持っているにもかかわらず白子同然の弱さになっている。それは良質の遺伝子を開花させた刺激、その刺激のない世界(人工飼育)で育った事が原因だ。私たちも自分で自分を楽な世界で人工飼育しがちだ。それが現代の安楽・ストレス解消・幸せの姿である。
 クローン人間は『人間は哲学の産物であり、哲学はストレスへの全力投球からしか産まれず、そして自分に一番フィットした生き方』という真実をいつか導く。難しそうに思うが、実は単にまっとうに生きるということでしかない。





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