(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成19年9月号

 筆者のかかわっている介護施設でのことだ。突然に労働基準監督署の立ち入りがあった。ささいな間違いはどこの事業所でもあるもので、指摘事項があり是正勧告を受けるはめになった。どこでもある、その程度の事・よそと同一歩調をとっている事に是正勧告を受けたのだから腹が立った。「ウチのように善意に基づいてやっているところが勧告を受けるなら、私はよその施設の告発をします」と。
 職員は筆者同様猛烈に反発し、猛勉強をした。「是正勧告を受けるなんて一生に何回もないのだから、この特別な機会を面白がってやろう」との筆者の言葉を思い起こしては職員は頑張った。頑張った分だけ知識という大きな財産を得た。と共に充実する事の楽しさを知り生き方の財産を手にした。
 今回の立ち入りは内部告発に因った。その女性が誰かはすぐに分かった。その女性は前の職場でも同じような「事件」を引き起こしていた。今回、彼女は同僚と喧嘩して即日退職願いを出した。こっちは待ってましたとばかり、即刻退職の書類に署名捺印を求めた。
 労基暑の是正勧告の処理が終わりそして御嶽夏登拝が終わった。つくづく女人堂の世界を思った。  女人堂の世界とは「女性は満足でしか行動をしないから永遠に悟れない、悟りたかったら男になる事だ」という教えだ。女性蔑視とも言われかねないが、本教だけでなく、古来から言われ続けて来た共通の認識・教えなのだ。
 この教えは男性社会が崩れ去った現代にこそ言える真実だ。男性社会が崩れ去った結果、男性が女性化し、満足を求めて行動している。それが女房や彼女にとって都合よいから喜ばれるだけなのだ。だが都合よい存在だから実は女房や彼女に馬鹿にされている…それが男の女性化の現状なのだ。知らぬは満足している亭主ばかりなり、なのである。 
 話は戻るが、内部告発をした彼女は実は上司と合わなかっただけなのであった。自分の意見を容れてくれない上司を否定したいために労基暑にたれ込んだ。彼女にとって悪いのは自分の満足を妨げるものであって、要するにいつも悪いのは全てが回り、となるのだ。その結果、即日退職という事をゴリ押しした。即日退職を容認されるだけ彼女は期待されておらず、はっきり言って邪魔がられているのも分かず、得意げに職場を去って行った。だがしかし彼女の回りは地獄だ。友達はいない。子供は社会人なってみれば近づかない、夫とは家庭内別居だ。家庭内別居に留めているのは夫がいるという見栄を張りたいためのようだ。
 恐らく一生治るまい、それが筆者の彼女に対する思いだ。まさに女人堂である。彼女は一生回りを恨んで、自分の不本位に立腹して人生を終わるのだろう…そうとしか思えないのが悲しい。
 だが現実に目を向ければ彼女ほどではなくても同じような女性は結構といる。
悟らなくてもよい、という考え方もある。だが子育ての権利(義務ではない)が女親にあるのだからことは重大だ。殊に少子化が決定している我が国で、子供がしっかり成長できないなら家庭にも社会にも将来はない。
 自分の事がしっかりできない(できるものではないが、やらねばならない)人に共通しているのはやりたいことならどんな難儀もできることだ。いやな事からやる、というのは本教の教えだが、多くは逆で、やらないための理屈を懸命に考え、そして行動しない。
 今を決めるのは自分ではないと認めよう。神はその人の成長を導くために苦難を授けているのに満足で今を決める。修行は荒行を意味するのではなく、決定権を自分に委ねない事から始まる。言われた事が本位であれ不本意であれ、本気で立ち向かう…学ぶとか人格を作るとはそういう事だ。それを宗教界では難しく悟りという。


   


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