(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成21年1月号

 平成二十一年が明けた。毎年のことだ




  
がこの年はどんな一年になるのかと考えてしまう。
 昨年は総理大臣が何度も代わった。国のリーダーになる資質を持たない人が国会議員に選ばれ、そんな議員の互選で総理大臣が選ばれる制度…。だから庶民としては反対する方法がなく、いたし方ない。昨年
代わった総理は、選挙で勝てる顔というポイントだけで選ばれていた。だけど選挙に勝てるだろうという人気と、イメージは悪くても本物とでは、大きな違いがある。今の総理も足元が揺れ出しているが、前の福田・安倍両氏には総理としての適性が無かった。はっきり言って、そのような両氏であるのに、それで選挙に勝てる、と思って総理として推挙したそんな国会議員は国民をなめている。その程度の目線で投票できると思われた国民も、その実、なめられていたことがわからなかった。共に情けない。
 一方、昨秋はアメリカで新大統領が選ばれた。彼の大統領選の勝利演説を読んだが、こんなで良いのかなあ、と思ってしまった。あの程度の演説テクニックを支持できるアメリカ人の懐ろの浅さを思った。そんな国が世界のチャンピオンを名乗ってよいのだろうかとも思う。それでも彼が選ばれたのは珍しく、原則を説いていたからだ。
 問題はここにある。洋の東西関係なしに、過去私達の文化とやらは、自分の思いを満たすことと頭から信じ込み、この思いだけに終始してきた。生きるとは幸せになること…この思いが間違いではないだろうかと疑問を持つ人は少なかった。滝場で『生きるとは味わうこと』と説いても不思議な顔をされて終わりだ。
  だから現実はアメリカごとき浅はかな国が世界のチャンピオンを自称し、自称し増長しているから、世界中から憎まれテロに遭っている。テロを非難するがアメリカの浅はかなリーダーシップを非難しないで済ます。非難しないのは私達も同じ価値観でいるからで、同じ価値観だから矛盾が見えないのだ。その矛盾とは、自分の思いを満たす事が人生、という価値観を指す。だがアメリカンドリームとは所詮は弱肉強食でしかない。自分の思いを満たす事が人生との考えは弱肉強食思想の是認でしかない。この事に私達は気づかねばならない。
 では人間はどう生きるのが正しいのか?。それはストレスを考えると見えてくる。私達はストレスを最大の悪のように考えているが、そうではない。ストレスがあるから成長をし、学び、安心を得られるのだ。つまりストレスがあるから人生は味わえるのだ。
 ただ只管(ひたすら)生きさえすれば安心できるのに、ストレスを排除してしまわねば解決したとは思わない。だがストレスの排除は安楽にはなれるが解決にはならない。今までの大半の文化はそれを解決と間違えて考えて来た。だが、解決とはストレスを受け入れることでしかない。ストレスがない人は楽にいられるが認知症になりやすい。体が不自由でも生きた心を持つ事と、体は楽だが自己判断の力に乏しい認知症とではどっちが良いか、それは瞭然だ。
 ストレスの受け入れとは、神に一切を委ねるということだ。神という存在を信じないならそれでも良いが、今を自分の都合で選ばない事だ。今を自分の都合で選ばないとは、只管生きることである。そして只管生きるとは、それがどんなに苦しくても悲しくても、生かされ自分が試されている姿である。試されている自分は嵐が通り過ぎるまで只管生きるだけでよい…それが生かされているという事だ。これはどんな新年を迎えても変わらない永遠の真実なのだ。



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