(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成21年6月号
 野球のWBCは日本チームの二連覇と言う成績で終わった。筆者は日本か韓国の優勝と予想し、多分韓国に優勝が行くだろうと思っていた。それはベースボールと野球の違いで、比べたらトーナメントでは野球が圧倒的に有利だからだ。アメリカでイチローなどの結果報告で、五打数とか六打数とか言っているが、それが延長戦でも大差の試合でもなくベースボールの普通の試合展開なのだ。打数の違いが象徴する様に我々のやる草野球程度の大雑把さがベースボールの正体で、ルール解釈もベースボールの場合は打力有利に解釈をしている。だからどんなに体格が違っても個人の能力が優れていても、勝ち抜きトーナメントでは取りこぼす。日本の天敵は細かい日本の野球を知っているオーストラリアだったが、このチームは別の予選ブロックに属した。従ってアメリカやキューバに優勝はない、と推理した。
  残るは日本か韓国となるが、日本は選手がにわかイチロー選手ばかりだった。韓国がどうあれ、皆がイチローの真似ばかりしている日本のさまを見て『あれでは勝てまい』と筆者は思った。
 このことはWBCが始まる前からイチロー自身も言っていた。『このチームにリーダーは要らない。僕がリーダーである必然はない』と。そうなのだ、少なくとも皆が別々のイチローであるべきで、皆がイチローと相似形であってはならないのだ。なのに全員がイチローに私淑していた。あのスケールの小ささでは負ける、と考えた。だからイチローに私淑していた村田は故障して戦線離脱した。イチローに言わせれば『怪我しないためのトレーニング』でもあるのに、だ。イチローに私淑しても学ぶものが違っていたともいえる。
 勿論、村田なりに学んだはずで、それは村田にとって一生の財産であり、これからの財産を大きくする基となるはずだ。だが、それはイチローからではなく、WBC参加から学んだことだ。イチローからは、何事にも左右されない・何事を無視しても自分のリズムを崩さないことを学ぶべきだった。寝起きの第一歩に始まって朝食・試合・就寝まで絶対にリズムを守る。その結果としてイチローはアメリカのチーム内で浮き上がっている。イチローから学ぶ以上はチーム内での孤立の辛さまでも覚悟せねばならない。
 本来の学ぶとはそういうことではなく、体験を自分のものとして消化して栄養にすることである。他人とかリーダーの目線のままに消化し栄養にすることを学ぶとは言わない。その独自の栄養が各自にあって、皆がそれぞれに自分へのリーダーで在るべきだ、ということをイチローも初めから言っていた。たまたま原監督の持っている運の強さで優勝と言う結果が出せたが、イチローは日本チームの危なさを見抜いていた。だから口ではリーダー不要を唱えながら、選手を掌握していた。一人のリーダーに掌握されない選手の集まったチームには遠く、旧態のままで優勝を勝ち取ろうとする日本チームという思いがあったから、イチローは選手を掌握せざるを得なかったと思う。だから、イチロー自身も胃潰瘍を病んだ。

  私達はサムライJAPANに興奮したが、興奮の多くは真剣勝負の勝ち負けであった。それは勝ち抜き戦である高校野球を見る目と何も変わらなかった。自らを自分のリーダーにするという発想のない点ではサムライJAPANは高校野球と何ら変わらないのだった。
 
一人の動きや一つの出来事に歓喜して熱がさめて終わるのがこの国の特長だ。この文が載る頃には、サムライJAPANの興奮もすっかり忘れてしまっているだろう。だが私達も少なくとも自分という個性のリーダーである。体験を十分に消化し栄養にするという学び方を身につけて良いと思う。それが修行だ。修行は結果ではなく、心にのみ道が通じているのだ。 


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