(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成22年5月号
 モンスターペアレントが増えているのかもしれない。モンスターペアレントとは自分の言い分だけ無理やり通す親を言う。その言い分が正しいかどうかなど問題なのではなく、言い分が通ることにしか目線がないのだ。学校の父兄にこの種の輩が増えていて、学校側では対応に苦慮しているという。
  筆者が理事長をしている施設でのことだ。同様のモンスター職員がいて、施設の管理者は頭を痛めていた。何しろ常識が通用しない。自分の思っていることが常識であり、思っていることが通用しないのは間違いというオバサンなのだ。有休や希望休などという権利は毎回一番先に主張して認めさせる…提出文書は若手に書かせて捺印して提出する…。気に食わない同僚には陰口を聞く、しかも自分ではなく人が言ったことを聞いた自分が話をしたことにする…。
 
以前からそんなことで施設のモチベーションが保てるかと思ってみていた。施設管理者もついに見限って解雇したいと言って来た。解雇する当然な理由もあった。『公平なことが判らない人では仕方ないな』と筆者。
  解雇を通告したら、彼女はたいそうなご立腹で労働基準監督署に訴え出た。労基署としては訴えを受けなければならない。解決は金の支払いを選んだ。『施設のモチベーションの高さを金で買えて問題が解決できるなら安いものだ』と考えたからだ。
  彼女にないものは施設利用者への思いだった。彼女にとって仕事とは自分の生活権確保の手段であって、その生活権確保というものも厳密に見れば、自分の思い通りの生活になる、というだけのことだった。だから解雇を通告された時も「自主退職ということにして」と体面擁護を訴えたし、自分が他の職員の誹謗中傷メールを流しておきながらそれを訴え出た職員に謝罪を求められるのだ。彼女の腹立ちが施設利用者擁護に向くならこうはならないのだ。まったくモンスターには困ってしまう…。しかし翻ってみれば世の中、モンスターペアレントだらけである。だからその対応が出来ない施設側の不勉強が情けないといわれても仕方ない。
  さて、ひんしゅくを買うことを敢えて言うが『女人堂』の世界が太古からあって、女性は悟りにくいという意味で使われてきた。それはまた女性の逞しさを表わす言葉でもあった。つまり女性は逞しいから無原則でも生きられる、ということが女人堂の意味なのだった。それでも、ひ弱だからこそ原則論を持たざるを得ない男性がいたから世の中にモンスターペアレントなる怪物は存在しなかった。それはなぜかといえば、男性が男性だったからだ。男性が男性の特性である原則論にしがみつき大事にしていたから、世の中は秩序が保てていたのだ。少なくとも秩序を重んじ、そのあり方を考える結果になっていたのだ。
  ところが最近は男性が女性化していて、原則論の大切さが失われている。原則を持つということは自らの原則を自ら疑うということでもあるもともと日本人や儒教文化の国民は原則論を情緒で推進し、自分を客観的に見るに疎い傾向がある。だから女性化しやすい国民性でもある。
 現代社会の女性化とは社会の無原則化を意味する。無原則化がどれほど社会を混乱させているかは学校を見れば判る。まともな教育になってないではないか。学校の乱れは大人の乱れの裏返しである。現代社会の大人はやりたい事とやるべき事の違いが判らない。当然にやるべきことの大切さが見えない。
  大人が自分を客観的に見ようとしないのだ。自分を知ろうとしないからだ。悪いところと良いところは表裏なのだから、悪いところも素直に受入れたら良いのに、それを直そうとするし否定する。大人が見ようとしているのは幸せのみだ。幸せの追求が人生であると思い込んでいるのは悲しい。なぜなら追求すべき幸せとは便利さしか意味してないからだ。便利さを追求したって解決できないのが人生である。小学生でもわかるこの真実を現代の大人がわからない。その真実を『若い・青い』で切り捨てるが、それが自分を切り捨てていると気づかねばならない。

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