(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成23年月5号
 未曾有の大惨事が起き、しかも私達はそれをリアルタイムでテレビで見てしまった。東北関東大震災である。マグニチュード九は世界歴代四番目という。今回の大地震では三陸から福島県の太平洋側で三万人を超す死者が出ると思う。
 人は成り行きの中を生きるしかない。巡り来る成り行きは本来が選びたくても選べないものだ。いや選ぶことは出来るが、選んだところで実は生きたことにならない。どれほど不本意でも惨めでも巡り来た成り行きをしっかりと受け止めて生きるしかないのだ。
  悪いこともしないのに津波に呑まれて一瞬で死に、或いは家族を失い、或いは親子が離ればなれになって死に別れた。対して筆者は平気で他人の悪口を言い人の成功を妬む悪人なのに、未曾有の大惨事を傍観する立場にいた。成り行きとは神の心のいたずらである。そんな大きな差が出来るのに、差がなぜうまれるのか明確な理由が見出せない。明確な理由が見出せないのは、それが神の心のいたずらだからなのだ。そんな神のいたずらに振り回され死人を大勢出させられて、それでもそんないたずらを受け入れねばならず、のみならず受け入れて全力で生きるように作られているのが人という存在だ。生き残った人が生きるに思いを強く致すには、その人が必要とされている事を周りが訴えねばならない。生き残った人を一人にさせてはならない。ひとりと思わせてはならない。
  幸運にも被災地から離れていて安穏な生活している人もいる。震災のニュースばかりでテレビがつまらないという人もいる。先の心配をして買占めに走る人もいる。少しの事で感情が高ぶって声の震える人もいる。風呂に入れて泣いた人もいる。暖かいカップラーメン一つに声を上げて泣いた若者がいた。
  この震災で人は二つに分けられた。心動いた人と他人事に関心を払わない人にである。筆者としてはそれがなんであれ、心動く人が多くいて欲しかった。不動の心を滝は目指すが、それは心が揺さぶられないことではなく、揺さぶられても吹っ切れてやるべきことをやれる、の意味だ大勢の人の死を無駄にしないためにも心を揺さぶられる人は多くいて欲しかった。
 
雨にも負けず
  風にも負けず
  雪にも夏の暑さにも負けぬ
  丈夫な体をもち
  慾はなく
  決して怒らず
  いつも静かに笑っている
  一日に玄米四合と
  味噌の少しの野菜を食べ
  あらゆることを
  自分を勘定に入れずに
  よく見聞きし分かり
  そして忘れず
  野原の松の林の陰の
  小さな茅ぶきの小屋にいて
  東に病気の子供あれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行ってこわがらなくてもいいといい
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろといい
  日照りの時は涙を流し
  寒さの夏はおろおろ歩き
  みんなにでくのぼーと呼ばれ
  褒められもせず
  苦にもされず
  そういうものに
  わたしは
  なりたい
 これは岩手県の生んだ宮沢賢治の詩である。宮沢は生まれる二月前にM8.5の三陸地震津波と生後5日目にM7.2の陸羽地震に遭って、三八歳で逝った。でも自分はこのように生きたいと願った。賢治は自分からかけ離れた生き方を思った訳ではない。生きてきた延長にアメニモマケズに思い至った。成り行きを精一杯受け入れそして全力で戦った。戦ったことが彼をしてアメニモマケズに至らせた。その思想がどうあれ賢治の痛みの結果である。生きるのは幸せ量や命の長さではなく、らしさの濃さなのだ。


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