(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成27年2月号

季節外れだが、シクラメンを例にして話を進める。十一月の出はじめは1鉢2500円から3000円だ。高級品は4500円もするとあった。
  だが、筆者がお祓いに行く園芸市場で競られるときには1000円から1200円でおとされる。この金額は十鉢単位でのことだ。
  そこから園芸市場が手数料を取る。それを25%とみた場合、250円から300円つまり農家の取り分は750円から900円となる。あくまでも10鉢で、だ。1鉢75円から90円だ…市場価格の30分の1から500分の1となる。
  生産農家でもないのに言いにくいが「その単価ってありですか?」と思う。確実に1鉢が売れるなら30分の1から500分の1の生産で済むことになる
  いっぱい作らねば良いのだ。その分、良いものを作って空いた時間で売りまわれば良い話になる。
  以下は取らぬ狸…だが、
  1鉢3000円としてそこから車の燃料代を差し引いたとしても、園芸市場での競り値の手取り75円の40倍にはなる。つまり自ら売り歩けば40分の1の栽培量で済む事になる、しかも顧客も出来る。あるいは通販をすれば良い。あるいは契約店を決めてしまえば良い…
  シクラメンに限らずだが、良いものを少量で安く…日本の集約農業は大量生産ではなく少量生産でやれば面白いほどやれよう。ТPPなどという問題でこの国の農業が大きく揺れているが、生産技術どこの国にも負けない。いや負けてみようがないのだ。それなのに自信がなくて国際競争で負けると思っている。言い方が悪いが、井の中の蛙大海を知らず、なのだ。大海を知らないから、恐るるに足らない物を恐れる
  但し、自分で販路を作らねばならない。それが一番面倒だ。
  農家は生産だけをすれば良い、という事を信じて来た不思議がある。生産したものがどうなってゆくのかを考えてなければならなかったのに、考えなくても農協をはじめとする流通業者がそれを代行してきた。もっとはっきり言えば流通業者に頭をはねられ、犠牲を強いられてきた。
  慣れたことは楽と気付くべきだ。どんなに体力的に苦しくても、だ。販路の開拓はやったことがないから厳しい。生産する事は楽ではないが、販路開拓をすることは新たなことだから苦しいことなのだ。新たなことは苦しい…これはヒトとして決まりきったことなのだ。だが、それこそやってゆかねばならないものだ。やっていきなり結果が出る訳がない。失敗、失敗の連続になるはずだ。
  やっていないことにしか活路がないのは、農業に限らない。新たなことが苦しいのはヒトとして決まりきったことで、悲観的に感じ恐怖を感じるから、ヒトは異常な力が発揮できるのだ。逆にいえば、将来に怖さを感じない人は、既に終わっていると言える。
  だが、現代はそれを幸せという。友達の輪の中にいる幸せ、人より抜きん出ている幸せ、惨めを見ないでいられる幸せ…全て発展しないための城を自分で作ってそこから出て来ようとしない事ではないか。それを何故幸せと錯覚して思えるのだろう。
  それは「安全」だからだ。孤立しないための安全、人より優位に立つための安全、惨めを見ないための安全…だがこの安全は何を意味するのだろうか。
  ヒトは安心して自分を生きれば良いのだ。安心して生きるとは。学ぶという事で、学ぶとは痛みを感じ続けドキドキし続けることだ。それなのに安全な世界を自分で勝手に作って、そこから出ようとしない。また出なくても済む豊かさでもある。だがドキドキしなければ学ばない。どんなに城に篭って幸せを味わおうが安心は得られない。



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