(毎月発行の『連絡紙』より)


●平成27年6月号
 筆者の関係する介護施設に、巨人軍の元ピッチャーが見学にやってきた。日本でも四十数基しかない感染症防止と呼吸器の健常維持のための特殊な機械を見るためだ。
  近くに講演があってその序いでということだったが、要するに『その会社に投資しようかどうか迷っているから』ということが彼の本音だった。どれほどの金額を投資するのか、有名人の彼のことだからきっと高額なのだろうが、それにしても書物ではなく実地見学で情報を得ようとするのは、凄く高い目線と精神だ。先ず感心した。
  それほどに彼は研究熱心でしかも理解力に富んでいて、だから野球に関して言えばそれがかなりの高いレベルの理論になってもいる。だがしかし、会ってみてどうも何か違う気がした。何が違うのかな、と施設見学のわずか1時間ばかりの間にその答えは出なかったが、帰ってみて、ああと思った。
  要するに、美味しい処まで最短距離を直線で行く、のだ。彼の書いてくれた色紙のサインには『野球道』という言葉が書かれていたが、一般人のイメージする『道』ではないようだ。
  結果を出すこと、その拘りがヒトの中身を高めてゆく…それが道なのに、彼の意味する道は少し違った。というか彼の道というものを回りでは理解できないのだ。理解できないのは筆者だけでなかったようで、彼の現役時代から『投げる銭ゲバ』とあだ名されてきたが、なるほどそういう風に見られても仕方ないのだった。
  金稼ぎの為にひとつの事を極めようとする人がいても良いし、生き方の問題だからとやかく言うものでもない。彼が銭ゲバと呼ばれるようになったのは、行動が余りにも直線的だからだ、と思えた。要するに美味いところを一番早く押さえてしまうやり方だ。歴史の好きな筆者に言わせたら、ユダヤ的な行動をする人なのだ。
  巨人入団のときがそうだった。チームメイトの4番打者が本命とされてきたのに、その裏をかいてドラフトで1位指名された。同じチームメイトだからと言って、親友とは限らないし、親友であっても抜け駆けをしてはならないという理屈もない。だがこの4番打者はそれがよほど応えたのか、入ったチームが対巨人の日本シリーズで9回ツーアウトとなり、後一人で日本一という時に涙を流した。巨人というチームを見返したという思いもあっただろうが、何より、プロの世界の裏切りに出会った、ということへの思いが吹きでたのだろうと思った。
  その年の夏、オールスターで彼らは対決をした。裏切られた彼はまだ銭ゲバ君を友達と思っていたようで、全部直球勝負と信じ込んでいた。ファンもそれを期待していた。だが銭ゲバ君は変化球を投げて凡打させた。銭ゲバ君は勝ったのだ、完勝だった。しかし負けてもナンボでもなかった勝負だった。いや負けてこそ彼は勝ち負け以外の世界を学べたはずだった。かくして4番バッター君はまたも裏切られた。4番バッター君の甘さを非難するほうが正しいのかもしれなかった。
  それはさて、要するにこの元ピッチャーは、結果を出すために最短距離しか歩かないヒトなのだった。為にかなり先鋭的な理論をも築く事が出来た。いつか彼は野球界に指導者として復帰するだろうと思っていたが、彼の興味は球団経営にしかなくて、それは無理なようだ。自分のやる事に迷いがなく、結果も出せてきた。しかしそれで良いのだろうか。 生きる世界を狭く深く生きなければ彼のように傑出した結果を出せないのかもしれない。だが例えば楽しいとかほほえましいとか言う細やかな情感に出会う事がない。新人が古参のプロ選手と渡り合うにはそういった細やかさなど邪魔にしかならないものだろう。だがそれでも、偏っている自分を自覚できなければならない。結果が全てではないのだ。割りきりが早く、常に大胆でいられる事は結果を出すために便利ではあるが、それ以外になにもない。神はそれぞれに個性を授けている。成功したといってみたところで、個性を生きなければ生きたとは言えない。だが成功すればたいした矛盾も起きないから、自分らしさなどに疑問を持たない。だがどんなに鈍感でも不安は成功不成功に関係なくついて回る。それが生きるという事なのだ。



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