(毎月発行の『連絡紙』より)

●平成30年4月号
  今冬は3度大雪に見舞われたが、地域によって除雪への慣れ方の差が表れた。新潟市は一日で80cmの雪になった.雪が止んだのが12日なのに、その日の夜になっても未だに除雪が出来ていなかった。
  未曽有の積雪だった、と行政は言っていた。だから何だって…と筆者は思っていた。未曾有なら未曾有で良い。が今回、未曾有を体験したのだから次は未曾有とは言えない…。
  地球上、いや宇宙の何事にもパーフェクトは存在しない。だから、この世は全てモアベターで進んで行かざるを得ない。事実、科学の法則でもモアベターで出来ている。科学法則ですら100%誤差なく発見されてなどいないのだ。何度も例えに出している事だが、アインシュタインの相対性理論は宇宙科学の基本であるが、宇宙科学から見れば間違いになるのだ。…宇宙そのものが拡大と継続でできているのだからそれも然りなのだ。
  以下、除雪に話を戻す。自分の棲んでいる阿賀野市と新潟市は阿賀野川一本で分けられているが、冬になると新潟市の除雪の悪さが目に余る。同じように、阿賀野市でも山手と平場では、除雪の上手さに差がある普段積雪が少ないから…と言うのは行政特有の言い訳でしかない。現実に上手な除雪をやっている所があるのだから。
  例えば1月13日、新潟県下越は雪が止んで晴れた。この日の午後のたったの3時間で道路の圧雪は消えてしまっていた。前日・前々日の豪雪と圧雪がきれいに消えてしまった。国道290号線の事である。消雪剤を撒いておいたからだ。それに対して、新潟市は16日になってもまだ道路に圧雪があった。
  国道290号と新潟市の違いは、危機の想定の差である。勿論、新潟市の方が想定出来ていないのだ。
  要するに何を普段にするのか、しておくのか…その普段の意識レベルの違いなのだ。 
  何事も事件が終わって平常に復帰すると、それで一件落着にしてしまう。だがそれは何も意味しない。
  モアベターを思索していないと、新たな危機に対抗できなくなる。未曾有を次から少なくとも未曾有ではなくならせないと…行政は近年の雪の降り方が里雪傾向にある事を懸念していなければならなかったはずだ。それを豪雪になってから言いだす…大自然の脅威を持ちだして役所に責任はないと誤魔化す…お役人様の常とう手段だが、職場放棄に等しい。
  更にはその職場放棄に対して市民の殆どは口を閉ざしている。今々の緊急時にお役人様に怒っても解決にならない。だが、普段から危機想定をしていないと、お役人様の再失敗に気づかなくなる。責任の追及ではない。同じ危険を味合わねばならなくなってしまうのは、市民の側も同様に危機を他人事にしているからだ。危機の他人事は、変化に鈍感なのではなく、周りに無関心なのだ。
  …役所に限らずだが何事に於いても、変化を見つけ、その変化を懸念し、危機を想定し、危機に対する対応を策定しているべきなのだ。
  今回も除雪機械の不足と言い訳しているが、それだったら尚、行政は怠慢と言うべきだ。何より、除雪機械の運転技術がなっていない…。それはそうだ、事前の除雪技術の実地訓練が出来ていないのだもの。その時になってこれから練習を兼ねて機械操作をします、除雪機械の操作をしてください…ではそれも当然だ。
  策定した危機対策でも対応できないとしたら仕方ないし、それこそを天災と言うべきだ。だが新潟市の除雪の悪さは定評がある…懸念・想定・策定が曖昧だからと言えよう。何年も対応を放っている、と言われても仕方あるまい。そして何年もそういうお役人様の仕事に無関心である市民も同罪である。
  その様にしていては、誰が住みよい街を作ると言うのだろう。他人の作った街に入り込んで行くだけで良いのだろうか。目の前に矛盾とか違和があるのにだ。
  普段から不要でない情報を積み重ねていないと、言い訳自体が白々しくなって行くものなのに…

 




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