(毎月発行の『連絡紙』より)

●平成30年6月号
  逞しいの反対語の「ひ弱」は良く使う言葉だ。そのひ弱を、漢字では『脾弱』と書くのだそうだ。そうか、ひ弱は脾弱と書くのか…この歳になって初めて気づいた。
 あっ、と思った。滝打たれを初めて30年に入りしかも人さまの健康を見させてもらってきて、ようやく気付いたのが、「脾臓」の大切さであった。なんという間抜けな事よ。 「滝打たれは精神に身体にも良い」と古来から言われて来た。それはそれで真実であって、色々とこの事を体験し傍観してきたのも事実であった…。それ故に、脳幹部と波動の関係で滝打たれの心身への好影響を述べて来た。それはそれで間違いはない事だ。むしろ真実という点からすれば、脾臓から説く事よりずっと大きい世界の事である。
  滝打たれに依って脾臓が逞しくなるのではなく、生命力が高まるから色々な臓器が逞しくなるのだ。この事を教祖瀧幸霊神は脳幹部と波動の関係で説かれておられた。「天地陰陽相交わるは山なり、滝はその交わりの発露也」のひと言で説かれておられたのは凄い。
  つまり簡単に言うと、全てのエネルギーの正体は波動であってこれは全宇宙共通のもので人間の生命も同じく波動なのである。宇宙の波動は滝に顕われるから、宇宙の波動が注がれる滝打たれは自分の生命力を強くしてしまう、という事になる。
  自分の生命力を支える臓器の1つである脾臓も、滝打たれに依って働きが活発になって逞しくなるのは当然である。それは五臓六腑の全てに言える事だ。だが、脾臓は特に元気の素の臓器であるので、逞しいの反対語の概念として「脾弱」の言葉が生まれたと言えよう。
  ひ弱が人体の五臓六腑のひとつである脾臓と関係しているとは、やられた…と思った。だが言われてみれば、その通りなのだ。
  西洋と東洋とでは脾臓に関する考え方が全く違う。殊に元気・病気・強気・気分などの「気」という概念を西洋では持ち合わせていない。同じ臓器なのだから、気質の変化が無い限りAもBもCも皆同じ能力を持っていると考えるのが西洋医学である。だがそうすると個性の説明がつかなくなる。その個性を構成する物として「エネルギー=気」を考えた。気は個性を形作る大きな要素であるのでこの概念は間違っていない。漢方では「脾」は体に必要な栄養物を全身の各組織に供給する所である。体に必要な栄養物は肺からの「清気=酸素」と結合し気となって全身に配られる…つまり脾臓は気の配布元、元気の素の場所と言えるのだった。
  滝に打たれると、食欲不信の人がご飯を食られるように=ひ弱でなくなる。これは滝打たれを体験した人の多くが経験したところだ。
  滝打たれで食欲が増すのは大声を出すからではなく、打たれる恐怖が元気を増させ結果として食欲が出るだけの事で、繰り返し滝に打たれてゆくと元気の出し方が判りそれが集中につながって行くのだ。つまりひ弱が逞しさに変わって行くのだ。
  ただ脾臓は逞しさを増すだけではない。漢方で脾臓は元気の素と共に、「後天の本」と呼ばれている。「後天の本」とはこの世に生まれてからの「生命力」を補充する素という意味になろう。つまり、寿命を補充するあるいは寿命を延ばす臓器と考えられていたという事だ。不眠・ストレス障害・血行不良などのストレス疾患と滝打たれの関係は脾臓の「後天の本」にポイントを当てると実に良く判る。
  「後天の本」も、滝打たれと逞しさの関係という観点からすれば明確に判る事だ。逞しさとは学びである、と滝打たれでは説く。学んで逞しさが増さないのは、学べてないからだとも説く。滝打たれは健康に恵まれるようにさせる。そして、その行き着く先は、個性を全うするという事である。その個性の全うは滝打たれではなく個人の日常生活の在り方、その積み重ねにかかる、と説く。
  滝打たれと健康の関連はなるほど「後天の本」で判る。滝打たれ30年、自分の使っている言葉でその深みを改めて教えられた。




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