(毎月発行の『連絡紙』より)

●平成30年7月号
 御嶽山へ行くと、がっくりする。噴火から3年、地震から1年が経過しているのに、復興に関して何の進展も見えない。御嶽は日本一山裾の大きな山だから、山麓に棲む人々には噴火も地震もそれほど痛みとして感じないで済んだ。震度5の地震で被害がなかったせいもあるから、実にのんびりとされている。
  逆に一番に痛手を被っているのは江戸時代から集団登拝をしてきた白装束の皆さん、殊に先達を務めて来られた方々である。筆者が初めて御嶽に入らせていただいてから46年が経過しているが、あの頃の白装束には勢いがあった。そして、山麓の方々は白装束の勢いに押されて言われるままにされて来た。またそれが山麓に棲む方々の生活の支えに少しは足しにもなっていた。
  そして筆者の入山回数が増えるに従って、白装束の方々が高齢化し減って来た。当時はどこの旅館・山小屋でも超満員だったが、今は8月第1土、日が少し混む程度だ。それだけ白装束の方々が山麓の方々の生き方に寄与しなかったという事だ。殊に自動車社会となれば、わざわざ山麓で客を待つより、自分が中山道に出向けば稼げる。だから白装束に頼る事も白装束の言いなりになる必要もないと山麓では確信しだした。
  対して白装束の方々はここ30年間に起きた2回の噴火、山津波、そして2回の地震を信仰の不振の原因にしてきた。だが果たしてそれで良いのだろうか?。正解だろうか?。 
  山麓の論理と白装束の論理とが全くかみ合っていない事が益々明白になってきていると思うのは筆者だけだろうか?。更にいうと山麓の論理も白装束も論理も、実は御嶽に足を運ぶ方々の論理と全く無関心である事が判っていないようだ。
  単純な話だが、ヒトは周りに喜ばれる事をしてこそ存在する価値がある。どれほど成果を上げてもそれによって財布が潤っても、やってあげる行為では必ず尻つぼみとなる。やってやるはハナから存在する必然がないのだ。
  存在する必然がないものは一時のブームにはなってもすぐに飽きられる。それを無理に存在させようとしたら、それは努力ではなく我欲でしかなくなる。皆から喜ばれるものは存在したくなくても求められる。つまり存在を決めるのは自分の思いとは別の「求められている思い」でしかない。厳密に言えば幾ら自分が正論であると思っても、決めるのは大勢の良識、という事になる。自分から見てそれが良識でないと思えても決めるのは自分個人以外の判断である。その判断に良し悪しを求めても意味がない。宗教的真実にしても哲学にしても、同様である。
  然るに御嶽の場合、白装束は皆さんの事を思って占ったり病気治しを行って来た訳ではない。万が一占いが当たったり病気が治ったりしても、その後をどう生きるかが明白でない。皆に支持されなければ、「求められている思い」に応えているとは言えず、いわゆる銭儲けであって仕事ではなかったという事になる。銭儲けの為の白装束である。白装束は自分のお客さんに対する権威づけだった。
  そういう勝手な論理が続く訳がない。それとは別に御嶽を慕う心が全国に存在して来た。言わば山そのものを貴しとする思いだ。そんな彼らは白装束を認めていなかった。認めていたら白装束が衰退などしない。
  いかに白装束が白装束だけの論理で活動してきたか、である。御山そのものが貴しの人からすれば、白装束の論理などどうでも良いのだ。白装束が占ったり病気治しをして、その結果がどうあれそれを契機に御嶽を生きざまの象徴として生きて行くそのお手本になっていれば済んだのだ。その事は山麓に住む人々への「教化」という事になったはずだ。白装束が占ったり病気治しをしたりそれが生きる上でどういう位置づけになるのかという事を山麓の人々に提示できなかった。提示できたのは白装束の銭儲けの手間賃だけだった。それで生活が豊かになる時代は昭和40年代でとうに終わっていた。白装束の論理には山麓の人々が入っていなかった。自滅も必然だ。




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