(毎月発行の『連絡紙』より)

●令和6年1月号

生まれて初めて表彰を受けた。日本会議という団体によるもので『立派な日本人』というテーマだった。日本会議の新潟支部長の佐々木薫氏が滝打たれのメンバーで、筆者を拾いあげて下さった様だ。
  滝打たれで人づくりに貢献して来たという事らしかった。筆者を日本人と呼ぶのは正解だが、立派と言われると「?」となる。立派かどうかは筆者自身が思う事で、当然に立派とは思えないので、だから辞退を申し続けたのだが、佐々木氏の熱意にほだされて、表彰を受ける事になった。佐々木氏の準備やら説得やらには頭が下がったからだ。
  表彰式に臨んでも、せっかくお骨折り頂いているのに、わが心は何とも浮かなかった。自分の中に貢献と言われても…と言う思いがあったからだ。滝打たれを社会に貢献させたくてならないのだが、身を結ぶ結果には中々至っていなかったからだ。
  雛段というか、そういう席に座っていて、同じく「立派な日本人」と言う表彰を受けられたお三方の受賞に言葉を聞いていて、気づいた。
  お三方とも表彰される事を喜びとされている事だった。筆者の様に特別席に座っていて、心揺れる人は居られない様だった。自分が周りから表されることに確信出来ておられるのだった。
  表彰される事を喜びに出来て誇りに思えておられる…筆者はとてもとても、そのような心境に成れずにいた。
  表彰後、一人ずつ受賞の思いを述べる段になった。一人5分程度という事であったが、お三方は大幅に時間超過をなさって謝辞を述べられていた。
  筆者はこの期に及んで謝辞を述べるべきであると、初めて気づいた。筆者はご案内にある通りに「コメント5分」を気にして、コンパクトに滝打たれの話をするつもりで、感謝の弁は用意していなかったのだ。
  しどろもどろで謝辞にもならず、滝打たれの話にもならず、コメントは終わった。
  皆さん自信を持って生きておられることに驚いた。そういう意味ではお三方こそ表彰に胸を張れる存在なのだろう。筆者にはそういう実績の認識もないし、この席にいる事がとても恥ずかしい事に思えて辛かった 。
 「そうなんだなあ」と思いつつ、筆者は逃げ出したい思いになっていた。72歳になっても心揺れる自分という物を認めざるを得なかった。
  終わって、やはり実績に自信を持てない筆者が良く見えた。だがだからという訳ではないが、自分で自分を評価できるなら良かろうが、周りの評価に感激されてしまうのは如何なものだろうか…と思っていた。
  周りからの評価を自分への励ましに出来るならまだしも、評価されたことを喜べることが不思議に思えた。ヒトはヒトで宜しい訳で、その事を非難する訳ではない。
  ただ、筆者はそれを嫌だと思えてならなかっただけのことだ。自分の評価は自分でしかできない、周りの評価にはしゃぐ自分でどうする…と言う思いはずっと持って来た事でもあった。もし評価してくださるのなら、木曽の御嶽4合目の「松尾滝」の再興に尽力し続けた「健魂」という団体に、その評価を向けてほしいと思った。手弁当で20年皆さんの自力を尽くして滝再興の作業を続けて来た…。クマ笹を切り開き、1,5kmにホースを敷き、取水部分に苦戦をし、20年懸かってようやく竣工となった。だが滝の水引きが終わった途端に、松尾滝の辺りが震源の地震が起きて、水引きは出来たのに滝が崩れて今に至っている。そして誰も滝そのものの再興を目指さない。
  それが信仰の山の修行の中心地への思いである。地元の木曽町や長野県へ働きかけずにいる。誰か馬鹿になって動かないものか…と思って見ているが信者の方々も観光協会も行政も動こうとしない。手軽く人が足を運べるような手軽な工夫はするがそれで終わり…。その無様を思うと、あそここそ「立派な日本人」の評価の場所であるべきだ、と思う。 
  それだけの事をやって来たから、評価に対しては自信を持って「立派」と言える。自分が自分に言える事で人からの評価は不要だ。今回の表彰と違って筆者には大いなる自信がある。だがそれは個人の胸の内のことだ。。


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