●令和7年5月号 |
昨年5月の事に遡るが、新潟県最大の県民新聞が柏崎原発に関してのアンケート結果を発表した。どうした事だろう…県民新聞が新聞の役目に目覚めたのかどうか知らないが、件の柏崎原発に対する県議会議員へのアンケートは良かったと思う。 これに対して、読者の反応は鈍かった様に記憶している。折角の特集記事を載せたのに、読者の多くにスルーされてしまったのは、残念としか言いようがない。普段の熱意が不足だからというのは厳し過ぎる評価になるなだろうか。 だが原発設置と言う、常でも記事になる現実を抱えているのに、読者をリードできていない事をこの新聞社は顧みるべきだ。その原発関連の記事が良かれ悪しかれ、毎日掲載された場合に読者から喜ばれるはずだ。 そうやって新聞は人々に真の情報を流して啓蒙啓発すべきだし、原発と言う滅多にない設備を設置された地元の新聞の特権記事であるはずだ。 それが原発に対する地元の意見と言い切れないが、そうであらねばならない。皆が皆納得できる記事など掲載できる訳などあり様がないが、それでも例えば職員のA氏が鉛筆を削っていて指を怪我しただけでも記事になるのだ。そういう記事の現場にいてるのに、深刻な記事だけ、忘れたころに掲載する…。何か違っていると思う。 新聞社として、社を上げて原発賛成なり反対なりの視点からの記事があって然るべきかなあ…と。 原発は無事故で当たり前だが、何をもって無事故と言うのか…不明だ。ウラニュウムの半減期は1000年に及ぶものの筈で、消滅まで1万年以上を必要とする…それだけに始まったばかりの科学と言えるのだ。 事故が起きた場合、その有害物質は風に乗って飛んで行く…隣の富山県は風向の関係で原発事故の影響は少なかろうが…せめて長野県群馬県山形県は関係させるべきであろう…だがこれ等の県まで反対する声が届かない。或いはどうでも良いにかもしれないが、何故それを記事にできないのか…。 原発に限らずだがアンケートを取って正直に発表することは大事で嬉しいことだ。それをどこで県民新聞社は行っているのか。 されはさて、県議会議員の大半が稼働に対して時期尚早と仰っておられた。賛成がたんと減ったようだ。賛成減は東電の体質に危険を開示できるようになったからのようだ。 然し今頃になって東電体質を言うのはおかしいと思う。周りから見ていれば、一流企業の職員様の働きぶりがのんびりし過ぎているし、緊張感を失っているように思える。 どんな物事でも失敗は起きるのが自然なことだ。だから事故を起こすなと言う口ぶりでいながら、事故が起きた場合にどう避難し、その事故にどう対応するか…こそが大事な目線の筈だ。 つまり原発で事故の起きるのは仕方ないとして、その事故にどう対処し、妥当な避難を指示できるか…こそが大事な事なのである。 殊に20世紀半ばになってウラニュウムの威力の研究は始まったばかりと言えるもので、妥当な対応が示させている訳ではない。 緊張の無い所に進化は無い。特に進化せねばならない訳ではないが、ウラニュウムの威力すら、明確に判っているのではない。 対して、安全に対する東京電力の甘い対応は、東電そのものの甘さを露呈し続けている。その『甘さ』こそ三流四流の人が行う一流企業の甘さであり、異常事態に対する甘さであろう。この甘さを緊張に替えて行かないと、伝発は危ない物のままで扱われてゆくことになる。 問題は原子力に対する緊張で無く、維持する人の把握・安全維持に対する思いの欠如であってそれこそが緊張感の低下に基ずく、と思われる。 東電体質では、原発でなくても事故を起こし続けるだろう。緊張の維持こそが求められる。それは代人の出番で補われるものではない。 そこを新潟県民新聞は触れなかった。おかしな事だなあと思う。
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